ご注意-1
ご自身がある問題に遭遇すると、法律の条文を読むときに、どちらかというと自分有利に解釈する傾向があります。どんな法律文を読む場合も同じですが、予断を排して冷静且つ客観的に読んで下さい。
ご注意-2
民法は私人の権利・義務(私権)を書いていますが、民法第1条には次のように書かれています。
民法
第1条 私権は公共の福祉に適合しなければならない。
2)権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。
3)権利の濫用は、これを許さない。
ともすれば、現代人はホンの些細なことに権利義務を主張しがちです。
これの意味するところは、自分に権利があるからといって、また、条文に損害賠償の記載があるからといって、社会条理、あるいは信義則に照らして判断されるべきものだということです。そして、民法に絡むトラブルの判決は個々のケースによって全て判決が異なりますから、一つの判例だけを根拠にご自身の権利義務の判断をしないようにして下さい。
お断り
隣地との関係
民法では、お隣同士の関係を相隣関係と言うようですが、民法の規定は、単に条文に書かれていることの白黒をつけるのではなく、社会性、公共性、あるいは社会条理、社会通念と言われる社会の根底にある規範や、互譲の精神というお互いが譲り合う精神をその判断基準としています。
そのため、実際の判例では、この規範や基準が大きなウェイトを占め、条文に対する可否よりもその問題に至った過程や状況も重要な判断(判決)の指針になるようです。
現代人はせっかちで、白黒をすぐにつけたがる傾向があります。
でも、お隣同士の関係は、置かれた個々の状況によって答えは全て違うため、なかな一刀両断で答えがでるものではありません。
また、実際に被害を感じている多くの人は、条文を過大評価し、あるいは被害を過大評価し、加害者側は過小評価する傾向にあります。
今回、民法というあえて解釈の難しいテーマを書いていますが、相隣関係の多くの問題は、お互いが譲り合う「互譲の精神」を逸脱したところから始まっています。
例えは物騒ですが、人を殺しても、その状況に応じて判決が異なるように、相隣関係もその状況に応じて、下される判断は様々であることを理解した上でこのページをご覧下さい。