前項では、作業をしている人達そのもので仕事の許容範囲を決めているのだ。という一つの問題をご紹介しました。
しかし、実はその逆もあるのです。
許容範囲が明確でないことは、すなわち、建築主の側から見た許容範囲もまちまちなのです。
下の写真のコンクリートのひび割れ、鉄筋の錆び、土台の割れ、木材の作業中の欠け、雨に濡れた合板、この中の過半は、建物にとって特に支障のないものばかりなのですが、 これらの現象は、建築主の不安心理を高めこそすれ、安心させるものではありません。
そして、例外なく人々の判断は、この写真のような見かけだけを基準に判断して不安をかき立て、建物は大丈夫か?手抜き工事ではないのか!と無用な心配をしています。
きれいな完成品しか見たことがない。曲がったキュウリも、土に汚れた取れたての野菜も見たことがなければ、すべては欠陥に見えてしまうのでしょう。そんな危うい尺度で建築会社を悩ます建築主だっているのです。
注:このような傾きは何も問題ありません。
物事を判断する基準は、その人の性格と経験、言い換えれば生きてきた、経験してきたことがその人の尺度になっしまうのは仕方のないことかも知れません。
でも、曲がったキュウリも、土から取ったばかりの汚れているだけの野菜も欠陥商品と映ってしまえば何も答える術はありません。
私たちは、いつしかきれいなものしか、完成したものしか目に入らない時代に住んでいます。工
事の過程では汚れ、割れなどいつもきれいな事ばかりで進んでいるのではありません。1軒に1万本の釘を打つ2x4では、釘の打ち損じも出るのが当たり前。でも打ち損じはおかしいと感じる人もいます。
あながち昨今の欠陥住宅騒ぎは、建築主が作り出している側面も無いとは言えないのです。