・・・・断絶の世界・・・・・
■象徴的貧困
少し古い言葉ですが、象徴的貧困という言葉があります。
メディアの情報に振り回される現代人の陥りがちな傾向を表した言葉ですが、この言葉の意味は、その情報を発信しているにもかかわらず、その情報の本当の意味なり意義を大衆は理解しようとしないし、またできない、ということだといわれています。
あるいは、情報やイメージ、映像が溢れる現代社会で、過剰な情報やイメージを消化しきれない人間が、貧しい判断力や想像力しか手にできなくなった状態を指すともいわれています。
情報洪水、情報過多といった言葉で古くから表されていますが、象徴的貧困では、市場は「わかりやすさ」と「売れる」情報のみを発信することで、大衆が物事の本質を離れて信じてしまうことに問題があるとも警告しています。
その典型的な例は、テレビである食材がある病気や健康に良いと紹介されると、次の日のスーパーでは、あっという間にその食材が飛ぶように売れるのとよく似ています。偏ったダイエット療法が紹介され、それに飛びつくのもよく似ています。
つまり、テレビやインターネットなどの苦労せずにすぐ手に入る、膨大な情報から出される「ひとつのイメージ」を前にしたとき、その人と情報の出し手とは空間も時間も廃絶され、また、論理的感覚も飛び越えられてしまう。「ひとつのイメージ」と「現実」との距離を論理的に問うことができなくなってしまう、という危険性です。
住まいの現場でも、よく似た現象が現れ始めています。
建物を建てるという行為は、いろいろなものの選択の連続です。あるいは比較の連続といっても良いかも知れません。しかし、論理的に比較や選択をするのではなく、ひとつの問題に大きく不安がったり、心配したりしているケースが増えてきました。
また、工事が始まれば、今まで見たことも、経験したこともない事ばかりで不安や心配を助長させていきます。
そして、その説明に正直疲れてしまうことがあります。
そのなかのよくある事例を紹介しましょう。
■雨の誤解
・梅雨時に工事なんかしたらダメですね。
・近くに雨が来ています。基礎工事が心配です。
・上棟後、雨が降りました。木材が濡れて心配です。
コンクリートに雨は大敵。非常によく言われる言葉です。
シャブコンのイメージから来ているのでしょうか。でも住宅工事ではシャブコンなどわざわざする必要の無いほど、一般建築工事からすればスカスカの鉄筋しか入っていません。
上棟後に木材が雨に濡れることを心配する人も多いですね。
じゃあ。建物がすっぽりと包まれるほどの大きなテントをかけて、工事をしている住宅現場を見た事があるのでしょうか。野ざらしの工事現場を見かけても興味も示さないくせに、それって、よそ事ですか!!!
■シロアリの心配
・シロアリが心配だから、土台はヒバやヒノキですね。米栂は絶対にダメですね。
はぁ。でもヒバやヒノキを使っている建物は日本全国2割もあるのかな?
■鉄筋の錆、木の割れ
・鉄筋が錆びています。ボルトが傾いています。 木材が割れています
■断熱材の種類
グラスウールとロックウールとどちらが良いのでしょうか。アイシネンとセルロースファイバー、ウール断熱材とどれが良いのですか。
一長一短がある、というのはこれ、公式見解。
メーカーのホームページには、その製品の良いことしか書いていないから、正直わからない。だって、まったく同じ条件で実態比較をした実験なんて誰もしていない。
■値段が高い
・標準仕様じゃないものを注文したら、やたらに高かった。
そりゃぁそうでしょう。価格ドットコムじゃあるまいし・・・流通の仕組みがわかれば納得出来る話が、ついつい、インターネットの世界だけを見ていると、価格ドットコムそのものと誤解している。
そして、これらの返事をしているうちに、ある共通点があることに気づきました。そのひとつが、冒頭の「象徴的貧困」という現象です。
ある突出した出来事、イメージに不安や心配を巡らす心理です。
■苦労せずにすぐに手に入る情報
なぜ人は、象徴的貧困になるのでしょうか。あるいはなぜ、これらに漠然とした不安を抱いてしまうのでしょうか。
それを住まいという現場に置き換えれば、苦労せずにすぐに手に入る情報が原因であるのでは無いだろうかと思っています。
パソコンの前に座れば、その情報の真偽はともかく、たちどころにいろいろな情報を知ることが出来ます。そして、多くの人は、インターネットとテレビや雑誌といったメディアが情報の中心です。
そして、このイメージは、「シロアリは怖い」「コンクリートに雨は厳禁だ」「木材が割れているのはおかしい」「この材料はとても良いらしい」といったワンフレーズ的なある集約したイメージに置き換わってしまいます。
でも、梅雨時に建設工事はしていないのか。台風の前後2.3日はすべての建設現場は休んでいるのか。シロアリはどの程度の被害を全国でもたらしているのか。自分の身近ではどうなんだろうか。といった身近な事実に目をやろうとせずに象徴的な印象だけを膨らませていきます。雨の日に生コン車が行き来していても、それは興味がないのです。
目の前の工事現場には目をやろうともしていません。
■象徴的貧困の症状
住まいを考えていく時に、この象徴的貧困にとらわれてしまうとどうなるのでしょうか。実はその人達特有の共通の現象があります。
それは、「不安」「心配」という心理です。
本来、住まい造りは楽しいもののはずです。
どの材料にしようか、どの方法が良いのかは、直感やその人の経験であったり、合理的判断であったり、似たり寄ったりの難しい選択だが、こちらにしようか、といった事で悩むことはあっても、「不安」や「心配」が心の中に表れることはありません。
でも、
ある物事にとらわれてしまうと、それは必ず「不安」や「心配」という気持ちのウェートが大きくなっていきます。
■ある事例
下の写真は、私が築24年の木造住宅の診断に行ったときの写真です。基礎の人通口が後から開けられ、すべての人通口で鉄筋が露出しています。この写真を現在の工事現場で見せられれば、すべての人が「手抜き工事だ」「欠陥工事だ」と騒ぎ立てるでしょう。
でも、実際の建物は、露出した鉄筋が錆びて膨張しているわけでもなく、基礎にクラックが入っている部分などどこにもありません。床下も乾燥し、シロアリの被害も土台の腐朽もありませんでした。もっとも築24年ですから、耐震性は今の基準で言う半分程度の強さしかありません。
でも私は、建物全体から判断して、大地震に遭遇しなければあと10年や15年は、全く問題なく住める、と説明しました。
下の写真は、阪神大震災で倒壊して、現在も放置された住宅の門柱です。シロアリの被害もなく、腐っているわけでもなく、大きな傷みもありません。キチンと手入れをしていれば、今でも十分に立派な門柱として機能していたでしょう。
■建物は人の体と同じ
人間の多くは、何らかの病気で死んでいきます。
でも、人に迷惑をかける痴呆にだけはなりたくないと、健康に気を付け、痴呆になりにくい食材を一生懸命食べても、絶対に痴呆にならない。という確証はどこにもありません。そうすることによって、なりにくいだろうが、リスクがゼロになるわけではありません。
反対にガンの心配ばかりしていた人が、ガンにかからずに、痴呆症になることだってあるでしょう。
どんな選択にもあるリスクは含まれています。土台やシロアリ、雨とコンクリート、鉄筋の錆び、断熱材の種類。 すべてに優劣やリスクがあるのは事実です。
では、あなたの身の回りで、どの程度の確率でこのリスクが発生するのでしょうか。
象徴的貧困に陥ると、悪い部分のイメージしか持たなくなってしまいます。そして、もっと大事なことは、多くの人はそのリスクの度合いを正確に言える人など皆無だということなのです。
マイナスのイメージだけが、その人の心に住み始めているのです。
象徴的貧困。情報過多。振り回される消費者。
それは、楽しいはずの住まい造りを不幸にするリスクを併せ持っています。
究極の現実があります。
『不安や心配を考える人も、そんなことを考えたことのない人も、みんな一様に建物を建てて、住んでいるんだ』
でも、人間が必ず何らかの病気と向き合わざるを得ないように、出来ればそのリスクを減らしたい?
『人間、思わぬ病気にかかることもあるさ。自分の描いたとおりの死に方が出来る人なんてこの世にいないさ』
泰然自若という言葉があります。(落ち着いていて物事に動じないさま)
情報という名の、苦労せずに手に入る実態を知らない亡霊に振り回されるのもほどほどにしましょう。
雨がいつも当たる地面の間近に立てられたムクの門柱。基礎の高さも、防腐処理もシロアリも関係のない世界があります。
飛び出た鉄筋を見て大騒ぎするようでは、あなたはその世界の実態の半分も知らない・・・ってことなのかもしれません。
「良いことしか言わない広告(情報)」。その対極は「他材の欠点をかき立て、不安をあおる広告(情報)」。
現在社会は、情報社会と言いつつ、その本質は現実と情報の断絶の世界でもあるのです。
もう一度言いましょう。
情報という名の、苦労せずに手に入る実態を知らない亡霊に振り回されるのもほどほどにしましょう。
そして、本当の事実が知りたければ、地に足をつけて、自分の足で真実を見つけましょう。
象徴的貧困は、現代人が誰でも陥る可能性のある心理なのです。
苦労せずに手に入る情報に振り回されるのではなく、近くにある工事現場がどんなことをしているのかを眺めたり、古い民家の門柱の足下が、なぜ腐っていないのかに興味を抱くことが、『情報やイメージ、映像が溢れる現代社会で、過剰な情報やイメージを消化しきれない人間が、貧しい判断力や想像力しか手にできなくなった状態』を取り戻す唯一の方法なのです。
自分の目で確かめず、手に触りもせず、足も動かさずに得られた情報は、その人の想像力というフィルター如何で、安心にも不安にも変わってくるものなのです。