ときには怒れ!

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気持ちを押し殺すことが良いこととは限りません
道理を踏みにじることに怒れ

 多くの日本人は、感情表現がヘタです。
そして出来る限り、波風を立てまいと振る舞います。
でも本当にそういうときばかりでしょうか
●こんな事がありました。

・ケース1
営業マンから「ウチの建物は全て耐震等級3です。」という説明を受け、快く思い設計をスタートさせたのですが、実施図面が出来上がってみると、筋交いが少なく、本当に耐震等級3になっているのかどうか気になりました。調べてみると耐震等級3は、クリアしていない。
・ケース2
そのハウスメーカーの広告には、『2X4工法の5倍の強さ』といった表現で建物全体の高い耐震性のことが書かれていました(部材ではなく、建物として5倍の表現ととれる内容)。鉄筋コンクリート系の建物なのでそれを信じて契約し、設計も済み、私の方に建築主デジカメコースを依頼されたお客さん。一応、耐震等級3になっているかどうかを知りたいと言うことでメーカーに耐震性能を問い合わせると、実際の性能は耐震等級2しか無い。
・ケース3
断熱性能を高くしたいという希望で、住宅会社がそれならばと、天井の断熱材をフェノールフォーム90mmと提案し、その追加費用も了承された方がいました。しかし、打合せが続く中で、厚みが40mmでも同等の性能がだせると説明され、それはおかしいと言うと、40mm+グラスウール100mmに変更させて欲しいという。この方がおかしいと思ったのは、最初にフェノールフォーム90mmでの予算で契約しておきながら、後で40mmでもいけるとか、40mm+グラスウール100mmに変えるという提案を臆面もなくしてきたこと。

 

実は全て、『約束と違う』という話なんですね。

ケース1は営業マンが耐震等級3と説明したケース。当初の約束を守るのが当たり前ですね。
ケース2は耐震等級3という説明はなかったが、誰だって建物全体として2X4工法の5倍の強さと書けば、耐震等級3は当然だろうと考えますね。
ケース3は、使う材料も厚みも追加費用も相手が提案してきたもの。自分が提案したものを、自分の都合で平気で変えてきたこと。

ところが、こうなったときに非常に多い反応が、
・技術的にやはり耐震等級3にすることは無理なのでしょうか
・この厚みでも性能的に大丈夫なのでしょうか
といったご相談なのです。

その心理をおもんぱかると、要は『釈然としないし、納得出来ないが
1)この間取りでは、やはり無理なのかと、違う理由で自分を納得させようとする人
2)自分たちが言っていることが無茶なのだろうかと、専門家の言うことだから反論できないとあきらめに似た態度をとる人
と、要は感情を抑えて、仕方ないと何とか自分を納得させようとする人たちなのです。

でもそのときの気持ちを代弁すると、技術的解決策が欲しいのでも無ければ、その仕様が妥当かどうかが知りたいのでもない。
本当は裏切られた、という気持ちで一杯なのです

 

 

 


こういうとき、私はいつも次のように答えています。
 『たまには怒りなさい!

 

冒頭にも書きましたが、日本人は何かと波風を立てまいとする心理が大きく働きます。また、自分の感情表現がヘタです。

でも、これらの方が持っている気持ちは、技術的な解決策が欲しいのではなく、「なぜ約束が守れない」・・という道義的なわだかまりなのです。
言い換えると「私はあなたを信じていたのに、あなたが約束を守らない」「信じていた気持ちを踏みにじられた」という気持ち(感情)なのですね。

こんな時に、技術的なあるいは理性的な話など関係ありません。

 

怒ればいいのです!


『耐震等級3になると言ったのは、あんたじゃないか!ウソをつくな!』
『広告で2X4工法の5倍と書いていれば、誰だって高い耐震性と誤解するのは当たり前だ!人の気持ちをもてあそぶな!』
『自社の都合だけで勝手に変えるな!出来ない約束はするな!』

・・・なんですね。。

 

そして、信頼を踏みにじられた・・と言う気持ちを理性的に伝達出来る手段などありません。特に怒りの気持ちは、私は怒っているんだ。あなたの約束違反に怒っているのだ・・と言うことを感情をあらわにして怒ること以外には相手には伝わらないのです。

 


●どんな時に怒ればいいかを知らない現代人
では、この人達はなにを躊躇しているのでしょうか。そこには、怒ることを教えられていない。どんな時に怒ればよいかを知らない現代人の姿があります。
親が子供をしからなくなって久しいですが、そういうことも影響しているのでしょう。

感情にまかせて行動することはダメであり、理性で行動することが正しいと教えられ、それが社会で摩擦を起こさない方法だと錯覚しています。

でも、いくら怒っていても、理性で包まれた行動をすればするほど、その人の感情を計ることは出来ませんし、相手は気づいてはくれません。

●道理で計れ
もう一つ、私たちが忘れていることがあります。それは『道理』です。

『道理』とは、
1.物事の正しいすじみち。また、人として行うべき正しい道
2.すじが通っていること。正論であること。
また、そのさま。「言われてみれば―な話」
と書かれています。

確かに、何が道理かを考えるときに難しいケースもあるでしょう。
でも、人と人との約束を守ることは、誰が考えても人間としての『道理』です。
約束は破って良いのだと答える人はいないでしょう。


もう一つ見逃してはならないこと。それは、

●モラルを忘れる社会人(モラルハザード)
 私たちは会社という組織の一員となったとき、人間としての「道理」を忘れ、会社という組織人としての行動規範で行動することが良くあります。モラルハザードとも言われますが、会社に貢献することが結果として会社や組織の中での自分の身を守ってくれることから、会社や組織の論理を優先されることでおこります。最近では「道理」「道徳」ではなく「モラル」「モラルハザード」という言葉でよく使われますね。

そういう社会的モラル、道徳・道理があったことすら忘れられるような大きな社会的事件が後を絶ちませんが、上の3つのケースも会社や組織としての「道理」や「ルール」が優先し、つまり、会社にとって正しいことが優先し、人間として取るべき「道理」を見失ったがために起こった事件です。

でも、あなたにとってそんな相手の会社に都合の良い「道理」など守る必要もなれば、思い悩む必要もありませんね。

実は、この関係に気づかない人が多いのです。

怒鳴ろうと、言葉静かに言おうとそれはどちらでもかまいません。
怒るという意思表示を使うならあなたの感情を発散し、相手に分からせるためには、たとえば、「約束が違うじゃないか」と怒るのがもっとも簡単に意思表示の方法なのです。
言葉静かに伝えるのなら、「あなたは人としての約束よりも、会社の道理の方を優先するんですね」 というのも一つでしょう。

 

人間としての「道理」「モラル」「ルール」は、会社の「道理」「モラル」「ルール」よりも優先してしかるべきものではありませんか

 

人としての「道理」を踏みにじられたとき、人は怒って良いのです!!

「あなたの取った行動は人としての道理に反している」といいましょう。なぜなら、彼らは人間としての道理に気づくことなく、自分の身を守ってくれる会社の道理のことだけしか気づいていないからです。

 


■補足1
このような事を相手に言って「相手に気分を害されては・・」と考える人もいますが、多くの場合、結果はむしろ逆で、はっきりと指摘した方が後の人間関係が円満に行く方が多いです。

最後に「彼らは人間の道理に気づくことなく、会社の道理だけしか気づいていない」と書きましたが、人としての道理に反したことを気づかされたとき、多くの人は素直に恥ずかしさを感じ、その後で謝罪の言葉が出る場合が多いのです。

その結果、建築主にあった「わだかまり」も氷解し、自然とお互いが納得出来る方向に歩み寄る事が多いのです。

ただし、極めて希に人としての「道理」が通用しない人間がいます。欠陥住宅の加害者の一部にこのような人達がいますし、自分のことしか考えていない住宅会社の担当者もいます。残念ながらこのような人としての道理からドロップアウトして生きようとする彼らに対抗する手段はありません。逃げることです。契約などしないことです。「道理」が分からない人間に「正常な契約行為」を求めることなど不可能だからです。

■補足2
モラルハザードの本来の意味は、ここで書かれているような意味ではありませんが、今回のような意訳も広く用いられていることから使用しています。

 

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