ご祝儀コミュニケーション

最近は地鎮祭や上棟式といった建物を建てるときに行う式典をする人が少なくなってきています。
上棟式などは、多くても数パーセント、地鎮祭も2割も無いかも知れません。(もちろん、地域によっても違いますが)

地鎮祭は、その土地の守護神を祀って土地の安定と工事の安全を祈願する儀式。
上棟式は、家屋の守護神、工匠の神を祀り、新しい家屋を祝福し、職人をねぎらい、今後の工事の無事を祈願する儀式です。

昔は地鎮祭と言えば、それを建てる棟梁も出ていましたし、棟梁自身が請負の元締めをしていたのですから当然ですね。でも、最近は、請負形態が昔とは変わりましたから、地鎮祭に棟梁がでる、ということは無くなり、施工会社の社長あるいは偉いさんが出席するのがほとんどですね。(もちろん、設計事務所に設計を依頼した場合は、設計事務所も参加します)

さて、いよいよ工事が始まる時々のご祝儀・・・気になる人は気になりますね。
気にしない人は全く気にもしないのが、このご祝儀なんですね。

ご祝儀というも、「どうもなんなんですが・・」と口ごもりますが・・要は相手への心配りをした方が良いのかどうか、ということですね。

といっても、地鎮祭は神主さんへのお礼ぐらいで、特に他の出席者にご祝儀を出す必要は無いのですが、気になるのは、その後、工事に入ってからの大工さんなどへのご祝儀です。

  • 家は大工が建てるのだから、棟梁に何かお礼をしたおいた方が良いのだろうか?
  • ご祝儀や謝礼などをしないと手を抜かれるのだろうか?
  • するならどのぐらいの金額が良いのだろうか?
  • いつ頃渡したらいいのだろう?

『気にしい』さんは、いろいろ考えてしまいますね。
そういうわけで、この問題を少し掘り下げて見てみましょう。

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ご祝儀と仕事

時々、大工さんなどに「ご祝儀」を上げないと「手抜き」をされるのではないか。とぼんやりですが考えている方がいます。
あるいは、「ご祝儀」を上げることによって「良い仕事」をしてもらえるのではないかという風に、「ご祝儀を上げること」=「仕事の善し悪し」に比例するかのごとく考えている方もいるようです。

でも、この考え方は、はっきり言って大きな間違いでしょうね。

仕事に手を抜くかどうかは、「ご祝儀」や「謝礼」をする。あるいは「お茶出しをする。」といった建築主の行為とは全く関係なく、その大工や職人の性癖、棟梁の性癖、もっと言えば工務店の資質そのものとも言うべきもので、建築主の方の行為の有無で仕事の善し悪しが変わるものではありません

それを言い出せば建売住宅、マンションなど誰が入るか分からない建物は手抜きのオンパレードになってしまいますね。
また、工務店の言う値段(工事費)をケチったら手を抜かれるのではないか・・これも非常に多くの方が抱いている気持ちですね。

でも、これも間違いです。

値引きと手抜き

そもそも、工事費を値切られて手を抜くような会社は、その程度の信義しか持ち合わせていないモラルレベルの低い会社ですし、その程度の大工や下請けしか持っていない会社なのです。
工事費を値切られたから、その仕返しで工事の手を抜くという馬鹿げたことは、普通の会社ではしません。自社が了解して契約したのですから、契約時の丁々発止の出来事はそれで終わったことです。

ご祝儀と手抜き

さらに言えば、「ご祝儀」をもらわなかったから、仕事の手を抜くなど、それこそ「人間失格、社会人失格」ですね。
あなたが社会人ならそう思うでしょう。

この業界は、数万社の工務店と数十万人の大工、それ以上の職人達がいます。これだけ多くの会社や人がいれば、悪い性根をもった人間失格、社会人失格のようなヤカラもいるでしょうね。それは仕方のないことです。

でも、大多数の会社や大工、職人も「祝儀」や「謝礼」の多寡で仕事の質を変えるほど馬鹿な人達はいませんから、「ご祝儀」と「手抜き」を結びつけるのは、いささか想像力の発揮のしすぎでしょう。

でも、人間は感情の動物であることも事実です。
「謝礼」という気持ちをもらってうれしく思わない人は決してありません。
では、どういう方法が効果的なのでしょうか。

そして、意外にもご自身の心の持ち方で使い方、感じ方が違ってくるのです。

「ご祝儀」3つの気持ち

さて。ご祝儀について書こうとしていると、フッと「なんでご祝儀を渡すねん?」と素朴な疑問が湧いてきました。

もちろん、昔(戦前以前)、棟梁と言われていた時代は、家造りのすべてを棟梁が取り仕切っていましたから、その棟梁に「ご祝儀」を渡すしきたりがあったのは分かりますが、今は、本当の意味の棟梁はいなくなりました。

大工というのは住宅工事の中心ですが、今では一つの職種に過ぎませんし、棟梁と言われるほど尊敬もされ、腕もたち、大勢の子飼いの大工の面倒を見て、すっげぇ太っ腹だぁ~なんて絵に描いたような人もいなくなりました。

では、どうしてみなさん、「ご祝儀」を渡すの。あるいは渡すべきか・・と考えるの?とふと、手が止まりました。

そして、フツフツと次のような事が浮かんできました。

私の仮説その1:「医師への謝礼」と同じしきたり説

最近でこそ、手術をしても入院期間も短くなり、主治医の先生に気を使って「謝礼」をするような慣習も少なくなったと思います。
それでも、入院すると、少しでも自分の病気を治して欲しい。あるいは「謝礼」を渡すのが、昔からのしきたりかしら・・等と悶々と考え、「謝礼」はいくらぐらい包むのが「相場」なの?となぜか「相場」という言葉が飛び出すような気持ちから、主治医の先生や病棟詰め所に「謝礼」や「付け届」をする事が多いですね。

つまり、これかぁ・・・・。
大工と医師は同じように、「私にはよくしてね。ね。」的お願い、あるいは「しきたり」から渡そうと考えているのでしょうか。

私の仮説その2:「手抜きせんといてなぁ、お願い」説

上でも書きましたが、業界の悪しき風評として「手抜き工事」の印象が根強い。だから、「お願い。私の所ではせんといてね」
・・・う~ん。まるで誰も手抜きをしているような気にされる。
でも、実際に「ご祝儀」を渡す理由としてそういう問い合わせをされる方もいますから、真剣にそう思っているのでしょう。

そうそう、この業界はなんせ「名の知れた悪徳業界」やさかいな。。。
そうでっか。「謝礼」の理由は・・・

私の仮説その3:「あくまでも感謝」オンリーワンよ。説

よく考えれば、大工というのは、実はその家を建てるとき(上棟)から仕上げの最後まで、たった一人の大工が仕上げるんですね。

つまり、あなたの家を造るのに、一人の大工さん、オンリーワンな訳です。言い換えれば、大工さん独り占め・・・なんですね。
1件の家に大工が2人いても、あくまでも上下関係のあるコンビで来ていますから、やはりオンリーワン。その時間は、のんびりペースで2.5ヶ月、ハイスピードで1.5月です。その間独り占め~だよ。よくよく考えれば、ある依頼のために、ある人を独占出来るのは、「大工さん」くらいかも・・・

自動車は分業生産。ツアーといってもコンダクターは独り占め出来ない。
たしかに、ある人を独り占め出来る依頼事ってなかなか無いんですね。

まぁ、時間単位の趣味の何かの個人レッスンはありますが。。
だから「感謝の気持ちを込めて」 それも悪くないですね。

そういえば、建築主の方から「良い大工さんに当たって欲しいんですけど、こればかりは。。。」そういうお気持ちをいただくときがあります

そやなぁ。一生に1回の家造り。オンリーワンの家は、ええ大工に作って欲しいわなぁ。

 

もっとも、こんなアホなこと書いても私のひとりごと。
「ご祝儀」頂くのはうれしいことやでぇ~。
もらう側は、私のようなアホな詮索をしてもらっていませんから、やる側は素直に「ご祝儀」あげたってぇ。。。
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ご祝儀、もらった実感

私自身は設計事務所の立場として長くやっていたので、その立場からでしか、ご祝儀をもらったときの感想は分かりませんし、その機会のほとんどは上棟式です。

そもそも、地鎮祭はされる方もまだいますが、上棟式までをされる方は圧倒的に少なくなります。
そういう機会なので、「ご祝儀」をもらうと非常にうれしいですね。

どういう風にうれしいのか。。
それは、「内緒の小遣いが増えた・・」という感覚がたぶん、一番ぴったりした表現でしょうね。

ご祝儀をいただいて会社に報告をする人はいても、そのご祝儀を取り上げてしまうような会社は無いでしょうから、結局は個人へのお祝い事ですね。

そして、もう一つ大きな事は、時期はいつであれ、そういった「ご祝儀」をいただいた方は、結構いつまでも記憶されていると言うことです。
(たぶん、いただくことが比較的少ないからでしょう)

もちろん、お名前やお顔までずっと覚えていると言うことはありませんし、私なんかは、個人名ではなく、どういった物件だったのか・・という記憶の仕方ですから余計ですが、それでも、あの現場とあの現場は「ご祝儀」をいただいた現場だ・・と今でも覚えています。

それほど印象深いのかも知れませんよ。「ご祝儀」って。。

かといって、もらっている方と、もらっていない方の対応や仕事に差を付けるということは無かったです。
つまり、もらったから手抜きをする、しないの話と同じですね。

でも、印象度は格段に違っています。
だから、何かは多少違うのかも知れませんがね。。。

さて、大工さんもそれは同じではないかと思います。
やはり、もらうと「嬉しいもの」でしょうね。。。。

もし、私が大工なら、どういう「ご祝儀」が一番嬉しいと思うか?
次は、本音で書いてみましょう。

いざ建築主になってみると

結婚してからも2.3箇所を転居し、やっと実家をリフォームして二世帯住宅に衣替えをし、落ち着いた頃に阪神大震災に遭い、住まいを建て替えました。
その時の出来事が、このサイトを作る大きなきっかけになったのですが、その時の経緯は「サイト誕生のきっかけ」に詳しく書いています。

さて、家を建て替えるとなると同時に、「建築主」の立場になるのですが、もちろん初めての経験でした。
その時、住宅業界の風習である「いわゆるご祝儀」なんて今時不要だ。「ご祝儀」のあるなしで仕事が変わるわけでも無し・・という考えが頭の中では支配的でした。

簡単に言えば、風習や慣習に対してやや突っ張った考え方をしていたのです。
もちろん、儀式めいた事もきらいなので地鎮祭も上棟式もやっていません。

そのために、上棟が終わりある時、現場監督に「この人が大工さんです。」と紹介された時も、挨拶だけで特に何もしませんでした。
(注:上棟自体は立ち会っていません)

また、あまり現場に見にいかないタイプの施主でしたから、現場にはほとんど足を運びませんでしたが、でも実は、それから後、現場に足を運ぶ際には、紹介された時に少しでも「ご祝儀」あるいは「お世話になる謝礼」を渡しておいた方が、大工さんに対しても気安かったかな~。と今でも思っています。

私自身は、仕事では初対面の人とでも、全く躊躇無く接することを苦にしませんが、この感覚はどうもそれとは違う「妙なもの」ですね。
仕事は仕事・・と割り切れない何かが私の心の一部を占めていました。
やはり、心のどこかで、「やっばり、手抜きやそんなこととは関係なく、つけとどけじゃないが気持ちだけはしておいた方が良かったんだろうか」と思ったりもしましたね。

今思うと、その中には、「オンリーワン・・この人が家を2ヶ月ほど毎日通って造っている」という意識も根底にあったのかも知れませんね。

そういう小さな葛藤を経て、そして、「ご祝儀」をいただく立場で上棟式に出席したりした思うことがあります。

それは、

  1. 誰も「ご祝儀」や「付け届」のあるなしで仕事の善し悪しは変えないだろう
  2. でも、「ご祝儀」はいただくと素直にうれしいもの
  3. した方が良いのだろうかと悩むタイプの人は、誰のためでもなく、さっさとした方が自分のため

つまり、地鎮祭や上棟式などの式典も、「ご祝儀」を渡す渡さないといった事もすべて「自分の気持ちの整理の問題」だと、思えるのです。
「ご祝儀」をされた、されないで仕事が変わることは無いでしょう。私自身も書いているように、特に変わりません。

でも、私が今でも、自分の家を建てたときに、「するべきだったのか、しなくて正解だったのか・・」と考えていると言うことは、結局、自分の気持ちにどう踏ん切りを付けさせるのか。ということではないかと思います。

それともう一つ大事なことは、「ご祝儀」は、現代社会ではとっても大事なコミュニケーションツールになるのではないか。ということなのです。

なぜそう考えるのか。
やや突っ張りぎみの施主だった私が今、自分が大工の立場だったら・・と考えると符合することがあるのです。

コミュニケーションツール

人によって、社交的な人、人見知りする人様々ですね。
また、井戸端会議でもあるまいし、はたまた、共通の話題もないし、何から話し始めたら良いか分からない、といった事もあるでしょう。

実は前回、建築主の立場だった私が躊躇したことが、このことだったのです。
現場で見かければ、「ご苦労様」と声はかけるけれど、早々共通の話題が無いために通り一遍の世間話しか出来ませんね。

あるいは、そういう現場自体が始めてであれば、といっても、ほとんどの人が工事現場なんか初めてですから、仕事をしている大工さん達に話しかけた方が良いのか、そっとしておいた方が良いのか、よく分かりませんね。

そんなとき、実は「ご祝儀」あるいは「寸志」といったものは最初を踏み出す大きなコミュニケーションツールの役割を果たすのです。
そして、気後れする人も、これをすることで、いつでも気兼ねなく現場に入ることが出来ますよ。

時間は10時、昼休み、3時を狙え

ほとんど職人さんは、一定のリズムで仕事をしています。そして、彼らが必ず行うのが、10時の休憩、12時からの昼休み、そして、3時の休憩です。
このサイクルは、実は人間の行動学的にも非常に優れたサイクルで、サラリーマンであれば集中力の持続するのが、せいぜい2時間程度で、2時間を超える会議など先の方はだれてしまうのでよく分かりますね。

そういう時間、つまり、大工さんが一休みする時におじゃまするのが一番でしょうね。
そして、「寸志」あるいは「ご祝儀」を頂いてイヤだと思う人など皆無です。誰でも「嬉しい」ものですから、素直に喜んでもらえます。

差し入れか、お金か

最近では、チョット歩くだけで自販機があり、コンビニがあります。
また、職人さん達は、一つの現場でモクモクと自分だけの仕事をしているのではなく、お互いに声を掛け合いながら、それぞれ相手と自分の仕事の段取や進み具合を調整しています。

もちろん、休憩時間も同じような時間になります。
その時、誰ともなく、あるいは昔からの仲間内の慣習から、誰かが自販機まで足を運んだりしています。
ポットにお茶を持ってきている者はそれを飲み、そうでないものは自販機に缶コーヒーを買いに行きます。それぞれマイペースで、相手を尊重し強要はしません。

超現実的な事をお話ししましょう。

そういう意味で、顔を出すたびに、缶ジュースの差し入れも一つの方法としては良いのですが、それなら、『あんたら、いつものペースで好きにやってよ』と「寸志」という形で大工さんに渡しておくのも、実は彼らに合った良い方法なのですよ。

ましてやコーヒーが良いのか、お茶が良いのかなんて考える必要もないですしね。
そして、渡したお金は大工さんが仲間内でうまくやってくれるでしょう。

つまり、上の「もらった気持ち」で書いたように、「内緒の小遣いが増えた・・」言い換えれば、「自由に使えるお金が増えた」ということになりますからね。
(自営の大工さんとて、材料工具という仕事に必要な費用と、お茶代は別の財布ですから)

 

もちろん、寸志や心付けをしてもしなくても、仕事は変わりません。
しかし、最初にがっちりと相手を掴む、あるいは気兼ねせず現場に入るようにするには、こういったものをコミュニケーションツールとして考えれば良いと思います。

だって「ご祝儀」でも「寸志」でも表書きはどうあれ、もらえば素直に嬉しいもん。。。。
どうして嬉しいかって。自分たちのペースで自由裁量出来るもん。。。。

といった所でしょうか。たぶん・・・・

終わりに

今までの話をすべて読んでおられる方は、「ご祝儀」あるいは「寸志」といったものはするべきだ。
した方がよいのだ・・と早合点しないようにしてください。

何回も言いますか、地鎮祭をする人はわずか、上棟式はもっと少ない。
地鎮祭では、神主さんへの心付け以外は、ご祝儀も寸志も必要ありません。
上棟式をする人も、「ご祝儀」「寸志」をする人しない人様々です。略式では、神主など呼ばず建築会社の人と建築主が四方清めの式をやるだけの人も多いです。

上の「いざ建築主になってみると・・」で書いているように、ご祝儀・寸志は自分の気持ち次第の整理の付け方なのです。
ましてや、した、しなかったで仕事や出来映えに差が出るものではありません。

でも、もらうと素直に嬉しいので、コミュニケーションツールとして考えれば、便利な小道具ですよ。
あるいは「オンリーワン」の時間を使って仕事をしてもらっているさまに謝礼という意味でも良いでしょう。

とにかく難しく考えないで、自然に素直に考えましょう。
それが、現代版「ご祝儀」や「寸志」といったものだと思いますよ。
いわば、『ご祝儀コミュニケーション』とでも考えましょう。

ついでですが、実はよく見落とされがちな職種。それは「基礎屋」さんです。
サポートサービスでもほとんどの人が、「基礎は肝心要の大事な部分だ」と思い、工事の最初のスタートとなる基礎部分のチェックに一生懸命になっています。
でも、もっともチェックの厳しい目にさらされるトップバッターなのに、建築会社からも、建築主からも意外と「基礎屋」さんは冷遇されているんですよね。

それでは、「ご祝儀」はここまで。。。。。

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