起こってしまったことに思い悩むな
10万円の不渡り手形を出して会社を倒産させる前、資金繰りがどうしようもなくなり、改善の目処もなく、これからどうしようか路頭に迷い呆然としていたときに出会った本があります。
当時でも古典的名著で、いまでも大きな書店の片隅に並んでいますが、カーネギーホールで有名なデール・カーネギーの「道は開ける」という本です。
人が悩んだとき、行き詰まったときにどうすればいいのか。どうすれば道(解決策)が開けるのか。という古典的なテーマが題材ですが、そのなかの一章に「不可避に協力せよ」「過ぎたことを悩むな」という下りがあります。
当時の私は、前項でも書いているように、自由に出来る数千円のお金にも困窮し、わずか数百円を握りしめて、ジュースを買ったら昼飯が食えない。昼飯を食うならジュースも買うな、昼飯も持参している数百円以下で選び、何か道中でお金が必要になってもどうにも出来ない、という状況で岡山方面に出張したことがあります。
あるいは、本当に死んだ方が楽になるのか、と思い詰めてJRの普通電車を始発駅から終着駅までの往復数時間を悶々と考えながら乗っていたことがあります。(ホントの理由は、現実逃避なのですが・・)
誰でも小さな失敗や選択を間違ったことは数知れずありますが、それらは、些細なことで後々の生活にダメージを及ぼすものでもなければ、明日の生き方もわからない、といった深刻なものではありません。
でも、明日の生き方さえわからない、というほどのダメージを背負い込んでしまった時とき、欠陥工事に遭遇し、住宅ローンを支払いながら、忌々しいその家に住まなければならないとき、自らの選択を悔やみ、絶望するような長い葛藤の後で、この言葉、この書を読んでみると別の世界が見えてくるかも知れません。
不可避に協力せよ。
過去を元通りには出来ないのだから。
事態をあるがままに受け入れよう。
「起きてしまったことを受け入れることこそ、どんな不幸な結果をも克服する出発点となるからだ」・・ウィリアムス・ジェームズ(応用心理学の祖)
この本には、次のような例示も載せられています。
「盲目であることが悲惨なのではなく、盲目に絶えられないことが悲惨なのだ」・・・ジョン・ミルトン
「もはや手の施しようのない事態になったら、事態の成り行きに任せるだけだ」・・ヘンリーフォード
「幸福への道はただひとつしかない。意志の力でどうにもならない物事を悩んだりしないことである」・・エピクテトス(ローマ帝国時代の哲学者)
そして、倒産回避という悪あがきをやめ、わざわざ10万円の不渡り手形を出し、世間に倒産した。とわかる手段を取ったのは、このような言葉に目が覚めたからです。この本では次のような事が書かれていました。
■いくらクヨクヨ悩んでみてもどうなるものでもない。
1)状況を大胆率直に分析し、その失敗の結果生じうる最悪の事態を予測すること (会社の倒産。これが最悪の事態だ。刑務所にやられることはない。)
2)生じうる最悪の事態を予測したら、やむを得ない場合には、その結果に従う覚悟をすること。(信用は無くなる。その覚悟は出来ている)
3)これを転機として、最悪の事態を少しでも好転させるように冷静に自分の時間とエネルギーを集中させること。
現在では、PTSDという言葉が認知されています。
欠陥工事に運悪く遭遇してしまった人の中にも、いつまでもそのことを悔やみ、相手を恨み、未だに過去を引きずっている人がいます。
それは、自分の気持ちの整理をいつまでもすること出来ない人達です。過去を恨んで幸せが来るなら良いのですが、多くはそうはならないのです。
ヘレンケラーを代表として、身体に大きなハンデキャップを背負った人たちが、健常者でも出来ない偉業をなし得ている例はいくらでもあります。
不治の病に陥った子供達は、同じ病の大人達よりも、遙かに静かに死を受け入れ、おとなしくその生をまっとうしようとしていると言われています。
それは、自分の身に降りかかった現実を受け入れ、不可避に協力したのではないでしょうか。 あがいても直らないハンデキャップ。煩悩のない子供達。
北条時頼は、「心こそ 心迷わす 心なり 心に心 心許すな」と謳っています。心は様々な喜怒哀楽の妄想にとらわれて、弱気になってみたり、強気になってみたりとめまぐるしく変化する。こんな心とまともに付き合っていたのでは、とても神経がもちない。かといって、私たちは死ぬ瞬間まで、これに付き合わなければならない。
「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。これが災難を逃れる妙法にて候」・・・良寛和尚
先人達も人知れず、悩んでいたのでしょう。
悩むことが恥ずかしいのではなく、煩悩を消し去った方が楽に生きられる、といも言えるのでしょう。
現実を直視したくない。それは、誰しもが持つ心の煩悩と弱さです。
でも、現実を直視し、受け入れる事の方が遙かに道が開けてくるものなのです。 そう感じた倒産劇でした。